かつては「人権」を声高に叫ぶのは左翼、「進歩派」、「革新」政党という通念があったと思うが、最近はそうでもないようである。
自民党と公明党の議員でつくる「与党人権問題懇話会」のメンバーがおととい、議員会館の一室に集まり、人権擁護法案の国会提出に向けた動きを再開した。だが取材記者によると、会合が終わって出てきた座長の古賀誠自民党元幹事長は、だんまりを決め込んだという・・・・(産経新聞9/1・産経抄)
古賀氏というのはたしか遺族会の関係者ではなかっただろうか。旧竹下派で、自民党のもっとも保守的というより、もっとも料亭政治的な部分を代表する人のように思われる。
そういう立場の人たちが、いまなぜ「人権擁護法案」をどうしても成立させたいと思うのか。彼らは長年、利権がらみの政治をしてきた人たちのはずである。今度の場合も当然ながら利権抜きの思惑ではないと思われるが、具体的にどのような利権を求めているのだろう。
この「人権擁護法案」では、「人権委員会」という国家機関に「人権侵犯者」に対する直接の捜査をする権限が与えられる。インターネット上の「人権侵害」への対処も検討されているという。
この法律によって直接「弾圧」されることよりも、むしろその前に、この法律の「威嚇的な効果」が絶大である。日本のプロバイダー会社はますます臆病かつ神経質に「苦情」に反応するようになり、インターネット上のログを監視・検閲するようになるだろう。
今回私が受けたニフティの検閲で言えば、ニフティは、日本の伝統的な「文学的自由主義」の発想に従い、「言論」と「その他の表現」(映像、音楽など。特に映像)とを区別し、「言論」については比較的謙抑的に、「画像」については厳格に検閲するという方針を採った。
利用規約はブログ提供会社と利用者との自由な契約とはいえ、現実には、提供会社を選んだ段階で、一方的に利用者に与えられ、その解釈権も適用・執行も提供会社にゆだねられる。このことは日本の会社だけでなく、海外のブログ提供会社でも同じである。
ただ、海外のブログ会社と日本の会社との違いは、日本の会社がよかれあしかれ苦情や評判に敏感に反応し、変な「日本の良識」をふりまわしてくることである。たとえば今回の一通目のニフティ通告にあった「他の人に侵害行為と思われるようなことはやめろ」といセリフに象徴されている反応であり「良識」である。この場合「何の侵害」なのかも厳密には意識されていないし、される必要さえないというのがこの手の「日本の良識」の特徴であるともいえる。「侵害行為」といいさえすればいいのである。
グーグルのブログなど、今回私は二つ作ったが一つはまったく表示されない。質問メールを送っても、いったんは返事が来たがその内容はrepublishのボタンを押せというだけ。何度やっても表示されないので、再度メールを送ったら完全に無視された。よかれ悪しかれ会社がふだんからこういう対応をしていれば、少なくとも、会員ブログのコンテンツへの第三者たる閲覧者のクレームなどに右往左往する必要はなくなる。もし児童ポルノなどが上がっていたら問答無用で停止するだけである。(と思ったが、今見たらグーグルからまたメールが来ていた。どこからアクセスしてるとかいろいろ聞いている)。
ニフティの通告メールによく表れている、「微温的」な、ぬるま湯馴れ合い的な日本の表現の風土において、「人権擁護法」などが成立するようなことになれば、「苦情者」はますます居丈高にネット会社に苦情を殺到させるだろう。そしてこの法律の威嚇的効果により、日本のネット会社はこれまでよりはるかに神経質に対応に追われることになる。これまでは謙抑的であった「文章」自体の検閲も、長年蓄積したブログの停止を盾にした恫喝により強行することになるだろう。
これからログを蓄積する人、まじめにブログを書く人は、海外の会社も含めた複数のサイトで同時並行的に、同じ記事を蓄積していったほうが良いと思う。一つのサイトに依存することはリスクを伴う。
ブログ提供会社を選ぶときに、その会社のブランドイメージなどに幻惑されるのがいちばんまずい。アダルトサイトばかりの会社でも使いよくて自由な表現が保障されるならば何の問題もない。
逆に、使いやすさや表現の自由を棚上げし、ブランドイメージで商売しているような会社はやめておいたほうがいいということになる。利用者の使いやすさでなく、既存ブログのコンテンツや有名会員のイメージで商売しようとする会社は、必然的に苦情にも神経質になり、一般会員の表現に対する規制も厳しくなる。
